

トップページ>花園高等学校>教育方針>HANAZONO EDUCATION PROGRAM>Vol.03 体をつうじて、己をみつめる。
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宗教を教科書で学び、歴史的思想的に生徒に伝えていくという、
宗教教育がほとんどの学校で行われているスタイルですが、
花園は、実際に坐ってみてその足の痛み、時間の長さ、背筋を伸ばしてじっとしているという、
「座禅」の意味を肌で知ることに重点を置いています。
お経についても、その意味もさることながら、
腹の底から声を出すことの方により比重がかかっているのです。
そのこと自体が自己をみつめ、自己自身を自ら知り鍛える。
という禅そのものの教育だと考えています。
お話はその付け足しであり、本物を知る指標としての考えで行っています。
付け足しと申しましても決して軽視しているわけではなく、
より実践に重きを置いているという意味です。
自分自身が知る「禅」そのものはここに書くことが出来ませんので、
その指標たる、お話の内容のみ紹介します。
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週一回、一号館四階講堂にて2クラスから4クラス合同で授業をします。
坐禅が基本姿勢なので、スリッパをそろえ座布団に坐禅の姿勢で座り、授業を受けます。
体を律することも授業の一貫なので、部屋に入り方、礼の仕方、スリッパのそろえ方、
座り方も指導します。
開始・お経を読むー読み方経本の持ち方も注意し、内容・講話の場合は姿勢を正して聞き、
坐禅の場合は特に坐相(座り方がありそれを専門の教員が点検する)を観ます。
それ以外には写仏・写経・儀式参加・DVD鑑賞などがあります。
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高一では、まず基本的な宗教に対する考え方を教え、
またメインである坐禅のありかたを観ていきます。
項目だけをみると一貫性がないようにみえますが、すべてはこころのありよう使い方、
という「禅は心なり」に通じていて、生徒は自ずと自己の心が狭い枠をすてて自由に、
また無限大に使えるものであることを体感していきます。
宗教とは何か?どんなところから生まれたのか?
そのとき得られる心とは、本当に宗教は必要か?
などというキーワードをもとにお話をします。
坐禅は何のために組むのか、調身・調息・調心からお話しします。
般若心経のなかから、とらわれない自由な心をお話しします。
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高二では、おしゃかさまの足跡をたどりながら、それを自己にひきあてて考える。と
いうことを基本として、その上でその思想内容を現代的な課題として取り上げていきます。
釈迦の誕生とその時代、思想的背景をお話しします。
釈迦の出家と修行お悟り、とくに釈迦の人間的な悩みとその脱出の仕方をお話しします。
祖師をとりあげ、そこから学ぶべき教えについてお話しします。
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高三では、白隠禅師を中心に禅の心がいかに、自己の閉ざされた心を変えることが
できるのかを基本にお話しします。
白隠禅師の生涯をみながら、
当たり前の心の悩みからどう悟りの世界に転換したかを お話しします。
坐禅和讃のなかから、仏とは何かをお話しします。
坐禅和讃のなかから、迷いの根源とその抜け出方をお話しします。
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写仏はそのままの仏さまの絵姿を写すことですが、
薄くうきだす線をたどりながら描いていくと、
百人百様の仏さまが出来てくるから不思議です。
まるで自分の心の写しのように、
どの生徒も息を こらし真剣に線をたどっているのは、
まさに写仏という坐禅です。
やり終えた生徒は、
「気持ちよかった」「もっとやりたい」「すっきりした」などと感想を言います。
その後、回収し三宝印を朱印で押し供養してそれぞれの生徒に返します。
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般若心経を解説の後、
その般若心経を写経します。
普段やっているような薄紙に書かれたものを 写すのではなく、
色紙に自由に自分のやりたいように心経を写すのです。
堅苦しい写経はほんとに 苦行のようで、
つらい辛いと言っていた生徒がこの方法に変えたとたん、
いきいきと自分の心経に 取り組むようになりました。
これは写すという精神集中とともに、
表現するという楽しみが加わっ たためだと思います。
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儀式についてですが、まず何の儀式に参加するのかと申しますと、
降誕会(ごうたんえ)という会です。
これはお釈迦様がお生まれになった日を記念して行うもので、
誕生仏といわれる青銅製のお釈迦様の赤ちゃん
姿を型取ったものに、
甘茶を掛け祝う行事で、甘茶は天の甘露いわゆる。
天からの祝福を意味します。
そういったいわれも話しながら、
2名ずつ壇上に上がり、礼拝をし甘茶を注ぐものです。
動作は単純なものですが、
衆人環視のもと静かな音楽の流れる中で、動作を行うことは、
儀式の大切さ荘厳さ 、敬うことの意味、
などその儀式の中での様々な心の動きを学ぶことが出来ます。